熊本白川教会 月報 10月号より

「愛と思いやりと高潔さと」 マタイによる福音書5:13∼14


 

 YMCAの専門学校で、この4月より、初めてのキリスト教学の講師をしております。色々戸惑いながらも楽しい前期が終わり、後期が始まりました。むずかしくならないように、しかし豊かなものをお伝えしたい、そんな希望を持っております。学生によってはYMCAの専門学校がミッション系であると知らず、「キリスト教かよ!」と言うようなレポートもありましたが、それも大切な反応と思っております。30名ぐらいのクラスですが、5~6名ぐらいは興味深く聞いてくれています。今は、オンラインの授業なので不便さも覚えますが、最後に「ありがとうございました!」と爽やかな声でクラスを閉じてくれるのは嬉しいものです。  

 近年は宗教、特にキリスト教に対して厳しい目が向けられています。様々な過ちが報道されているからです。私達が倫理・道徳的に高潔であり、愛深く、尊敬を勝ち得るものでなければならないとしみじみと諭されます。私達は人間ですから失敗もすれば、愚かなことも口走る危険を有しています。過度に神経質になるべきではないですが、聖霊の力をいただき、品位のある生き方をすべきでしょう。多くの方々から見られている存在です。どんな能力よりも、キリストの愛の香り、思いやりの香り、聖なる香りを身にまとわせていただきたいと祈り願います。愛の冷えている時代、潤いが無くなっている時代、なんだか殺伐としている今、深き愛と真に品位のある人が求められているのではないでしょうか。

 批判・反発のレポートのストーリーには続きがあります。先日のクラスで、「宗教」について講義をいたしました。一神教、多神教、アニミズム、シャーマニズムほか。世界宗教、民族宗教などなど、その特徴について語り、また、祭政一致、政教分離などにも触れて授業をいたしました。 特に、「宗教とお金」についての批判のレポートでしたから、取り上げ、丁寧な説明をいたしました。

 ある学生が仏式の葬儀でお祖母様を見送ったそうです。ところが何かにつけては「金、金」と言われ、飾られているお花さえ金に見えるほどだったと書かれていました。私は「他宗教のことを批判するつもりはありませんが。。。と前置きをした後、斎場に行って火葬をするのに一定の費用は掛かるけれども、教会の場合、基本このぐらいでと言うのはあります。でも、経済的な困難や貧しさを覚えている方々には無償でして差し上げることもできるのですよ」と語りました。

 心のある宗教、祈りのある宗教、命のある宗教は今もあるのです。キリスト教は政治に利用されたり、力ある者に悪用されてきた歴史があります。 しかし、弱き人々を助け、病院を立てたり、学校を起こしたりして来たのも事実なのです。信仰によって勇気が与えられた人々は、時代を歴史を文化を良き方向に導いたのです。

 そのようにも、語り授業が終わりました。すると、一人の学生が近づいて来て言いました、「今日のクラスで私のレポートを取り上げてくれてありがとうございました」と。普段あまり関心のなさそうな学生でしたが、とても嬉しそうに微笑んでくれました。彼の心からわだかまりが解けたかもしれないと、私は嬉しく受け止めました。小さな一歩からすべてが始まるのですね。 愛と思いやりと高潔さに生きなければと重ねて、主にあって思わさせられました。

はな