熊本白川教会 月報 2月号より
「愛に富む神様の導き」
出エジプト記12章40~42節・13章17~22節
イスラエルの民がいよいよエジプトから出発します。寄留の帰還は430年に及びました。すべての期間、奴隷であったわけではありませんが、長い間、過酷な生活を強いられたのは事実でありましょう。しかし、神様はモーセを通してイスラエルの民を約束の地に導かれます。大帝国エジプトを十の災いで打ち、小さな民の神様が実は天地の創造主であることを知らされるのです。私達の教会の主も同じ神様です。イスラエルを約束の地まで導かれた方は、教会も神の国まで導き続けて下さいます。
1, 主が眠らずに番を(12:40~42)
男性だけでも60万人を越えていたと聖書に記されていますから、女性も子供も入れればイスラエルの総勢は100万人を越えていたでしょう。神様は彼らがエジプトを出る際に「眠らずに番をされた」とあります。詩篇121篇を読むと「神様は全知全能であり、うとうとすることも眠ることもない」とあります。眠りを必要とされない神様が、眠らずにイスラエルが旅立つのを見守らたのです。これは神様が全存在をかけてイスラエルを守って救い出されるお姿です。新約聖書においては、罪と死と悪を、十字架と復活の御業によって打ち破られ復活される主イエスのお姿と重なります。その力を与えられたのは神様です。イスラエルの民が、神様の溢れる愛と配慮の中で出エジプトできたように、私達も救われたのは神様の満ち溢れる愛の結果なのです。
2, 主の知恵の導き(13:17~20)
イスラエルの民が寄留していたゴシェンの地(ラメセス)から、地中海沿岸を通って行けば約束の地まで300㎞程です。ですから、ゆっくり歩いても30日で行きつくことができます。しかし、神様はあえてその道を行かせなさいませんでした。なぜなら、そこには好戦的な民であるペリシテ人たちが住んでいるからです。必死の思いで出エジプトをし、また、戦争経験もない奴隷であったイスラエルの人々は、その民の姿を見たら恐ろしくなり、エジプトへの帰還を願うだろうとご判断なさったのです。それで、あえて南下する方向へ導かれるのでした。人生には時に神様によって遠回りに見える道を進まされることがあります。しかし、私たちのことを神様は私たち以上にご存じなのです。ですから、どうしてこんな道を進まなければならないのだと思っても、人生をあきらめたり、嘆いたりする必要はありません。神様は真実な方です。願うような道は通れなくても、私たちの思いを越える豊かな祝福の地に導いて下さいます。しかも、その道を通ることで私たちの信仰は豊かにされます。弱き者を強き者とし、高ぶりを砕いて謙遜にし、主と似た者として下さるのです。実は、感謝なことなのです。
3, 主が共に(21)
主は、昼は雲の柱、夜は火の柱を民の先頭に立てて、そこにご自身の臨在(共におられること)を示しながら導いて行かれます。神様は寝ずの番をなさるように守り、その英知を持って導き、民を整え、豊かな臨在をしめされました。愛に富む神様の導きは、新約の民である私たち(教会)の上も注がれているのです。