熊本白川教会 月報 9月号より
「全ては神様を礼拝することから」
ヨシュア記5章15節
私達は出エジプト記、ヨシュア記から御言葉を聴いてきました。聖書は数千年も前に書かれた古典的要素はありますが、それだけではもちろんありません!礼拝の度に日本基督教団信仰告白の中で私達は何と告白しているのでしょう?「聖書は信仰と生活との誤りなき規範なり」とです。聖書から信仰と生活を律し、力づける言葉が聞こえてくるのです。
宗教改革者は、特に、説教壇で語られる説教を重んじました。弱さを持つ人間が、神の言葉を語る使命が許され与えられている。私達は、説教者を通じ、また、その人物を越えて語りかけて来る神の言葉に祈りつつ聴き入る時、神様の御声が響きます。
ヨシュア記の中心的メッセージは、「神様はヨシュアと選びの民と共におられ、導き守っておられる。それゆえ、信仰を抱き困難を乗り越え約束の地を得よ」と言うことです。モーセの後を継いだヨシュアを、神様は何度も何度もお励ましになります(1章)。
いよいよ、ヨシュアはスパイ(斥候)を遣わし、約束の地を探らせます。そこで、娼婦ラハブとの出会いが起きます。エリコの王は必死にスパイを探させますが、ラハブの機転により彼らは守られます。ラハブはエリコの出身でありながら、イスラエルと生ける神様が共におられることを知り、信仰を言い表し、後にイスラエルの民に加えられます。彼女はルツ記で有名なルツの夫なるボアズの母となり、子孫にダビデ王や主イエスが登場して参ります(マタイ1章)。
また、信仰によって彼らはヨルダン川を契約の箱を担い渡ります(3章)。祭司が足を川につけるや否や、モーセの前に葦の海(紅海)を裂けたように、ヨルダン川の溢れ降る水はせき止められ、人々は、ヨルダン川を渡り約束の地に入って参ります。 遂に、難攻不落の城壁の町エリコをヨシュアは眼前にします(5章)。
しかし、そこでヨシュアは抜き身の剣を持つ主の軍勢の将と出会います。「私たちの敵ですか?味方ですか?」とヨシュアが問う問いに主の軍勢(空の星々を率いる)の将は告げます、「あなたの足からくつを脱げ、あなたの立っている所は聖なる地だ」と。敵を前にしてくつを脱ぐとはどういうことでしょう?これは、「真の神を礼拝せよ、このお方に頼れ」とのメッセージです。私達は、神の前に座して祈るよりも行動をしたいのです。あの方法をこの方法、あの人にこの人に、そして、持っている財にすがりたいのです。でも、まず、することがあると聖書は告げます、「神の国と神の義をまず求めなさい。必要なものは全て添えて与えられる」と。ヨシュアにエリコを奪取する方法が告げられます、「まず、軍勢が先頭に、そして、祭司たち7人が雄羊の角のラッパを吹き鳴らせ、そして、最後に神様が共におられると言うしるしである契約の箱を担ぎ、エリコを6日間に渡って毎日一周せよ。そして、7日目には7周をし、ときの声を上げよ!」と。
何という戦い方でしょう。これは礼拝の姿です。こんなのは無理。あり得ない。普通、だれもがそう思います。しかし、それを行ったときに城壁は崩れ落ち、彼らはエリコに打ち勝つことができたのでした。
今日も、神様はまず私たちにご自身を礼拝することを求めておられます。朝、目覚める時、祈りを持って一日を始め、また、休むとき、感謝の祈りを持って一日を閉じましょう。礼拝を捧げることから1週間を始める。そこにこそ、人生の勝利の根拠があります。