熊本白川教会 月報 9月号より
ウェスレー著「キリスト者の完全」より
現在、婦人会で月に一度、ウェスレー著の「キリスト者の完全」を学んでいます。熊本白川教会はメソジストの伝統を継承していますので、その指導者であるウェスレーに学ぶことは、信仰を深めることになるでしょう。
ともに味わいましょう。
説教「心の割礼」
~1733 年 1 月 オックスフォード大学の聖マリア教会にての説教~
あなたが求める唯一の目的は、それはすべてにおいてすべてである神を喜ぶことです。
この目標にかなう限りにおいて他の事柄を欲しなさい。
一つ一つのステップにおいて神を喜ぶこと、それが、あなたの目指す栄光ある目標です。
神のみがあなたの存在の源泉であり、唯一の目的なのです。
神の御名を賛美するために生きるように望みなさい。
あなたの思い、言葉、行いのすべてが神の栄光のためであるように。
魂を神の愛で全く満たし、神のためという理由以外に何ものも愛することがないように。
その時に、私たちも主イエスのように私の望むことを求めず、父なる神の御心を求め、考え、話し、行動するようになります。
この説教は、ウェスレーが出版した最初のものです。
これが、後代のウェスレーの理解となんら矛盾しないと自ら述べ、聖書的であると語っています。
1.ホーリークラブの結成
1735 年末、ウェスレー兄弟たちはアメリカに渡るまで大学でメソジスト(几帳面屋さん)とあだ名で呼ばれ、このような思いを彼らも抱いていました。
弟のチャールズがクラブを結成し、兄のジョンが指導を果たしていました。
「聖(ホーリー)」すなわち、神と隣人に愛し仕えることを追求することを目的とするホーリークラブは 1729 年に始まりました。
この会の目的は、聖書研究や書物を通して「聖」の理解を深め、社会で愛を実践することによって「聖」を生き、祈りや聖餐を通して「聖」の修行をすることでした。
(具体的には、規則正しい信仰生活を目指し、聖書研究、祈り、断食、病人・囚人の訪問、貧民街での社会奉仕を行いました)。
その後、英国の植民地であったジョージアの行政責任者であったオグレソープと出会います。
オグレソープからネイティブ・アメリカンへの宣教と移民の牧会へ招かれ、ホーリークラブの四名がジョージアに向かうことになりました。
1.アメリカでの宣教の時期
渡米においても帰英においても、ウェスレーは、ただ神を求める詩を書き続けていました。
この渡米、帰英の中でウェスレー自身が挫折を経験しています。
その中で経験主義運動(モラビア兄弟団)に触れる中で、キリスト教信仰の生命(救いの確信)を見出していきます。
帰国後、1738 年 5 月 24 日、ウェスレーはロンドンのアルダスゲートで行われたモ ラビア兄弟団の集会に参加します。
ウェスレーの日記を読んでみると、彼はこの会に出席したくないという思いでいましたが、神様に背中を押されるようにして、その集会にでます。
そこでルターが書いた「ローマ人への手紙の講解の序文」が司会者によって読まれたとき、ウェスレーは、聖霊によって心が燃やされるのです。
そして、キリストにより自分が罪から救われていることを確信するに至ります。
そこから彼の活動が大きく展開していくのです。