C* Cry

「イエスは涙を流された」 “Jesus wept. ” 

聖書のなかで一番 短いことば。そして一番 不思議なことば。イエス様は神の子なのに  本当に泣くのでしょうか???ところで、あなたは一番最後に 涙を流した日を憶えていますか? 憶えていない。。。という方もいるでしょう。「私はそんなに深く絶望したことがないんです。」とおっしゃる方に会ったことがあります。人生を淡々と生きてこられたのかもしれません。それはとても幸せなことです。けれど、時に私たちは突然のできごとにショックをうけ、その悲しみが深すぎるあまり涙さへ流れない。。。そんな経験をすることはないでしょうか。生老病死は全ての人と隣り合わせ。我が身に、そして愛する者の身に。生きる苦しみ、老いていく哀しみ、病んでいく恐れ、そして最大の敵『死』を前にするならば誰もが立ちすくむのです。

「イエスは涙を流された。」                       

いったい なぜだったのでしょう。それは愛していた友人ラザロの死を前にしたからです。ラザロの二人の姉マルタとマリアは、弟の死を眼前に力なく座り込んでしまいます。二人は弟が病気になったとき、”今すぐイエス様の助けが必要だ”と、遠い町にいるイエスに伝えました。しかしイエスは動こうとされない。まるで、ラザロの命の灯が完全に消えていくのを待つかのように。。。そして、やおら立ち上がる。「さあ、眠っているラザロを起こしに行くぞ。」と。死後三日のときが過ぎたラザロを甦らせるために。そして死の立ち込める墓の前にたつイエスがいました。その時です。イエスは、はらはらと涙を流されたのでした。葬りに集まる人は口々に言います。(もっと早く来れば癒せたのに。遅いんだ!)けれどもイエスは、マルタとマリアの悲しみに心動かされ、泣かれました。そして(ここで終わりではない。「人の命」とは「死」で終わるのではないのだ。)といわんばかりに呼ぶのです。

「ラザロよ、出てきなさい‼」

するとラザロは目覚め、甦るのです。「死」の世界に光がさしこむ瞬間です。あなたは今嘆きのなかにいますか?暗闇の中にいますか?あなたの悲嘆を知っていてくださるイエス様。隣にすわり共に涙を流すイエス様。しかし、そこで終わりではないのです。あなたはこのイエスを信じるときに、嘆きが賛美に変わることを経験するからです。

 

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