E* Eat
「なぜ、彼(イエスキリスト)は罪人などと一緒に食事をするのか?!」
一緒にテーブルを囲む、美味しくお食事をする、それはとても幸せな時間ですね。こころも体もほぐれて会話もはずみます。イエス様はよく人々とご飯を食べました。聖書にはそんな食事の場面が数多く出てくるのです。けれどもその場面を苦々しく見ていた人たちがいました。もし食卓が争いや批判の場であったら美味しいはずの食事はたちまち味を失い 砂を噛む場となってしまうことでしょう。
ある日のこと、まじめな宗教家、パリサイ人たちがイエス様のもとにやってきます。イエス様はいつものように人々と楽しく食事をしながら語り合っていました。するとパリサイ人たちは口々に批判します。「なぜイエスは取税人や罪人などと一緒に食事をするんだ!」取税人、遊女といえば、宗教家どころか当時のユダヤ社会一般の人々からさへ蔑まれていました。取税人とは悪徳税金取り、ローマ帝国の手先、売国奴との烙印を押された人々でした。けれどイエス様はいつも「蔑まれた人々」の友でした。父なる神様の目の前には全ての人が高価で尊い、ということをイエス様が一番ご存じでしたから。そしてその命がけの愛を十字架によって現すために来られたからです。
イエス様はパリサイ人達に答えました。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(大切なのは自分の弱さをしり、神を求めるこころを持っていること、そこなのだよ。わたしを信頼しなさい。)と。たとえ立派にみえる歩みをしていてもそれが人々の評価を得るためなら虚しいものです。けれど唯一にして真実なる神の前に生きるなら(たとえ失敗することはあったとしても)永遠の命に至るまことの食べ物が与えられるのです。