熊本白川教会 月報 5月号より
「祈りの交響曲が天へ」 ピリピ人への手紙1:19
「あなた方の祈りと、イエス・キリストの霊と助けとによって、このことがわたしの救いになると思っているからです。」ピリピ人への手紙1章19節
ひとり静かに祈る。また皆で心をあわせ共に祈る。私達の祈りはオーケストラと似ています。色々な楽器が音を奏で一つとなるように、皆の祈りはひとつとなって神様のみ前に立ち昇っていきます。それを父なる神様はどれほど喜んで聴いてくださることかと聖書は告げます。一人だけの祈りではない。皆の祈りが織りなされ一つになる美しさ。みんなが個性的な祈りをしてよいのです。時に、嘆くような呻くような祈りであったとしても、このお方は受け止めて応えてくださいます。
なぜでしょうか。冒頭の聖書の言葉にはイエスキリストの霊が助ける、とあります。そこに注目してください。この助けという言葉は、もっと強い「充分なケア」と訳すべき言葉です。この言葉は、指揮者に通じると言われます。この世界には名指揮者がいます。カラヤン、バースタイン、アバド、ムーティなどを思い出します。私は音楽が好きでこれらの指揮者が振るベートーヴェンの「運命」などを聞き比べたことがあります。皆一流の指揮者です。しかし同じ曲、同じオーケストラだとしても曲の持つ空気が皆変わってしまうのです。人それぞれでしょうが、私はカラヤンの振る「運命」に一番感動をおぼえます。イエスキリストは名指揮者であって、私達の祈りを一つにして、美しい交響曲の音色に変えて神様に届けてくださるのです。実に幸いなことです。憂い、嘆き、弱さ、苦しみの叫びがキリストのみ手のなかで麗しい香りとなり、父なる神様に届けられるとき、それは救いとなります。そしてあなたの上に、家族の上に、教会の上に降り注がれていくのです。最後に、祈りについての詩をご紹介します。ニューヨークのリハビリテーション研究所の壁に書かれていた一人の患者の詩です。
~病者の祈り~
大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことができるように
病弱を与えられた
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった
人生を楽しもうと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
命を授かった
求めたものはなに一つ
与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
願いはすべて聞き届けられた
心の中に言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人のなかで
最も豊かに祝福されたのだ