H* Healing

 

「癒し」「ヒーリング(healing)」という言葉をよく耳にします。コロナ疲れ、人間関係疲れ、情報疲れなどなど。。。価値観が多様化し、どう生きたら良いのか戸惑いを覚えるものです。誰もが心に疲労を感じる生きずらい時代です。 ロスアンゼルス滞在時、疲れるとビーチをめぐり美しいサンセットの風景に心癒されました。また沖縄にいた頃、そこに流れるゆったりした時間、穏やかな気風、エメラルドグリーンの広がる海を眺め癒されました。まさに、癒しの島でした。

 

熊本にも阿蘇の雄大な風景は広がり、水量溢れるこんこんと湧きあがる湯に身を浸すことができます。自然豊かな美味しいものを食べ、英気を養うことができます。 しかし、イエス様は「この水を飲む者は、(一時的には癒されても)また渇きを覚えるだろう」と言われました。どんなに素敵なところに住み癒されても、日常に帰ると喧騒は待っています。心が窒息しそうな日々があるかもしれません。また誰かと共に楽しい時間を過ごし心満たされても、ふと一人になった時言い知れない寂しさが押し寄せてくることもあるでしょう。

 

そんな時私たちはいかに「癒し」を経験するのでしょう。擦り切れて行く日常の中で、どう歩めば良いのでしょう。聖書は私たちに「祈ること」を勧めます。日々の歩み中で神様に重荷を委ね、言葉にならない言葉であっても、聞き耳を立てて聞いていて下さる神様に語るのです。その時、聖書を傍らに置いて下さい。祈りつつ、聖書を読み、聖書を読みつつ祈る。すると神様の言葉が、細き語り掛ける声が聞こえて参ります。そして不思議なように心の重荷が取りのぞかれ、安らぎに満たされます。瞬間瞬間、どんな時でも、絶えず祈りましょう。そこに、まことの癒しを経験することができます。イエス様は汲めども汲めども尽きることのない水、渇くことのない水をくださいます。溢れ流れる温泉の湯にどっぷり身を浸すと体がほぐれていくように、主イエスの言葉、聖書に心を浸し安息が与えられますように。

「誰でも、いつでも重荷を負って苦労しているものはわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませ癒そう」

サンゴ礁