J* Jesus
”Jesus Christ”「イエス・キリスト」この方は、どのような方なのでしょう。イエスの生きた時代は、今から2000年前。ローマ帝国の圧政下にあったイスラエル。日本でいえば、古事記や日本書紀よりも古い縄文時代。もちろん、車もない、電気もない、スマホなんかは影も形もない。
そんな遠い昔であっても、聖書を読むとき、人の悩みは今と少しも変わらいないのがわかります。生きることに悩み、老いることに戸惑い、病むことに嘆き、死ぬことを恐れる存在、人とは昔も今も弱いもの。現代人はそれを見ないふりをして生きようとしますが、見ないわけにもいきません。拒絶しても拒絶しきれないものとして、私たちを脅かすからです。
そんな私たちにイエスは語りかけます。「なにを心配しているのだ。空を飛ぶ小鳥を見なさい。野に咲く花々を見なさい。彼らは働くこともしないのに、父である神は養い育てておられるではないか。あなたを生かしておられる父なる神が、ましてやあなたに目をとめないことがあるだろうか。心配しないでいなさい。」と。イエス・キリストが十字架につけられ亡くなられた時、持っておられたのは僅かな衣服だけでした。私たちは、片手にスマホ、ありとあらゆることのできる上質のミニ・コンピューターを持ち、クーラーの効いた部屋で音楽を聴き、心地よく過ごせます。あらゆるものを手にした人間が生きることを心配し、何も持たないイエスキリストは何も心配せずに、すべてを神様に任せておられました。立ち止まって考えてみませんか。大切なものとはなにかを。
騒ぎたつ心を祈りの心に変え、「父なる神が、イエスキリストを安らぎで満たしていてくださったように、今日わたしの心を平安で満たしてください。」と祈ってみませんか?その祈りは豊かに答えられます。